シベリアに抑留していた義父の話です。
多くは語ることがありませんでしたが、私にとって貴重な話でした。
氷点下の中の重労働は、-40度に下がると中止になったそう。
仲間の死は、朝起きて掛けていた毛布がペシャンコになっていることで知り、穴を掘って埋めたと言っていました。
ある日、義父は心筋梗塞を起こし3日間意識不明に陥り、その時のことを克明に話してくれました。
意識を取り戻した義父に、親切なロシア人看護婦さんから「生きて日本に帰りなさい」と励まされ、毎日注射を打ちに来てくれたお陰で生き延びることができたと。
そして日本に帰ってきてからがおまけの人生だと言っていた義父は、88歳までほとんど病気を患うこともなく、12年前の1月にパタッと食べなくなってしまいました。
急遽介護申請の手続きをするため、内科医に連れて行ったのですがどこも異常なし。
エンシュア(経腸栄養剤)だけ処方していただきました。
「2月は葬式に来る人は寒いからなぁ、3月にするか」と笑いながら冗談を。
・・・と思ったら本当に3月に亡くなりました。
亡くなった晩、私は横になっていた義父に声をかけました。
すると――「箪笥にお寺に渡すお金が入ってますからよろしくお願いします。」と。
お風呂から出てもう一度声をかけると、「時計が止まったので直してください。」
その後突然体が硬直して救急車を呼びました。
夫が一緒に乗り込み病院へ。
実は既に家で亡くなっていたのだと、後からわかりました。
夜中の2時に警察3人による現場検証が始まり、非日常に何故か義母はハイテンション(笑)。
そして怯える愛犬😅
滞りなく葬儀を終えて、義父が自分の荷物を全部片付けていたことを知りました。
義姉は「自分で食べるのやめようって決めて、即身仏みたいだったんじゃないのかしらね。」と。
そうかもしれないと思いました。
私も物質的、精神的に何も残さず、義父のような最期を迎えるのが理想です✨
あ、やることを全部終えてからね!🤣